1月6日生誕
1872年1月6日~1915年4月27日
アレクサンドル・スクリャービン
幼少の頃から才能を発揮するも、陸軍兵学校に進学します。が、生来の虚弱体質のため、結局はモスクワ音楽院に転学してしまいました。音楽院でラフマニノフと同級でした。ピアノ科では1、2を争うライバルで、ピアニストとして有望視されていました。
甘美でロマンティックなラフマニノフと違い、神秘主義にはまったスクリャービンは無調へと進んでいきます。ピアニストとして卓越していたため、特にピアノ曲で重要な作品を残しました。管弦楽曲でも大オーケストラを用いた交響曲がしばしば演奏されます。
それではリストやショパンの影響を受けていた初期のエチュードを聴いてみましょう。