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心に届く音楽心理講座

内なる音楽を聴く

随分、神聖な感じのタイトルですね(笑)。

音楽を聴くという行為がとてもクリエイティブな行為であると同時に、自分へ向き合うことでもあります。

私たちが普段音楽を聴くときには、誰かが作ったものを味わうという感覚で聴いていると思いますが、音楽の本質はそこだけではないと考えています。
もっと大事な、自分の内なる音を聴くというとても大切な部分があります。

モーツァルトのレクイエム聴いて感じる感情。それはモーツァルトの音楽にすべてを委ねているのではなく、耳から入った音楽があなたを通して新しい感情を生み出していることに他なりません。レクイエムを3歳の子どもが聴くのと、80歳の様々な経験を重ねてきた人が聴くのとでは、決して同じ感情ではないでしょう。

音楽というのは、完成された刺激として存在しているのではなく、聴く人の過去の経験や精神状態を反映して新たな存在感を生み出します。同じ人でも聴くときによって同じ音楽でも聴こえ方が違うのはそのためです。もし、音楽自体に絶対的な一つの感情が存在するのであれば、誰がどこでいつ聴いても同じように聴こえるはずですが、実際はそうではありません。

だから、音楽を聴いて「これは音楽的に、ああだこうだ」と言っているうちは一流の聴き方ではないのです。まだ、外からの刺激としか捉えていないわけです。
自分の中に音楽が入ってきて、そこから内なる音を聴く。音楽を聴くことによって自分を見つめるということです。内なる音を聴くということは自分に向き合うことになり、意識しなければ避けてしまうかもしれません。でも、音楽の神髄はそこにあると私は考えています。音楽から生れる感情は自分の経験や知識、感性です。そういう意味では音楽を聴くということは人生そのものであり、とても崇高な行為であるといえるでしょう。

普段、耳を澄ますということを私たちはあまりしません。音楽を聴くときも同じで、あくまで外からの刺激と捉えがちです。しかし、実は音楽は自分の内側から生れるものだという意識を持つと、世界が変わるでしょう。

耳を澄ますということに関係して、作曲家の江村哲二さんはこんな事例をあげています。
それは学級崩壊を音楽が救うという実話です。学級崩壊というのは実は音楽室から始まることが多いのです。
これは私も経験があるのですが、大学の頃教育実習で音楽を受け持ったときのことです。地方の少し荒れている学校で、一部で学級崩壊に近いような状況でした。そのため、実習生の私には比較的問題の少ないクラスしか持たせてもらえませんでした。

なぜかというと、授業がやりづらいとか、計画通りに進まないとかそんなことが理由ではなくて、音楽室に生徒が来ないからです。他の科目と違って、なぜかちょっと自由な感じがする音楽という教科。部屋を移動するということもあり、普段と違う状況を楽しむという感覚もあったと思います。

音楽室に連れてくるのが一苦労。そして、集まったとしても、まず歌わない。そこらへんにある、楽器を勝手にならしたり、走りまくっていたり。そんな状況でした。実際にそういう場面を見ているので、江村哲二さんが「学級崩壊が音楽の授業から始まる」というのもよく分かります。

江村さんの事例では、既存の音楽鑑賞はやめて「自分の耳に何か聞こえるものがあったら教えて」とだけ子どもたちに言うという方法をとったのだそうです。そうすると、「ちょっとうるさい、聞こえないじゃない」とか、「あれ、こんな音が聞こえる」という具合に、クラス全体が耳を澄ませて何が聞こえるのかを考えるようになったのだそうです。その結果、お互いの話を聞くようになり、学級崩壊を救ったということです。

まさに、「耳を澄ます」ということの本質がここに隠れています。耳を澄ませて音を聴くことが、実は自分自身と向き合うきっかけになり、相手をも思いやるようになる。外からの刺激に向き合うという考え方だけだと、このような感覚を持つことはできません。

音楽や音を聴くことが、人間の精神活動であり、生命哲学であるのです。ヨーロッパの美学では序列的に音楽が一番上位になるそうです。単に、芸術としての位置づけだけではなく、その人の人生哲学ともいえる音楽の存在。音楽の本質はそこにあるのです。